よく噛んで食べる
最近、よく噛んで食べています。
小さい頃からよく言われていた「よく噛んで食べなさい」という教育。実際はそこまで実践せずに適当に噛んで成長してきました。
カレーライスとかおじやとか、米粒までちゃんと噛まないよね、普通。サラサラっと。歯に潰されず生き残った米粒たちはそのままの形で喉の奥へ進んでいく。
そんな感じだったのが、なぜか最近は米粒を見逃さず潰していく。粒のまま先に進まれるのが許せない。もう、一流の門番。
これのいいところは、食べ物が本当に美味しいと感じれること。美味しいを長く、味わうことができること。消化に良いとか、体に良いとかもあるのかもしれないけど、一番は美味しいと感じれること。
なので最近は「カレーは飲み物だ」みたいな意見には積極的に反対したい。
カレーはスルメ。噛めば噛むほど味が出て、満足したら飲み込むのです。
ブログ初心者界隈が気持ち悪い
自分が初心者だったときもそうだったんだろうか。
たまにTwitterでチェックする「#ブログ初心者」というハッシュダグ。
見てると本当に気持ちが悪い。
何が気持ち悪いかと言えば、多くの人が意識高い系のツイートをしていたり、無条件で褒め合ったり、フォロワー数をアピールしたり、コンサルの勧誘だったり、etc......
なんかすごい無理している感じがどうしてもしてしまう。
これ自分が初心者のときもそうだったのか?
覚えてる限りでは同期ブロガーとかやってたりはしたけど、ここまで気持ち悪くはなかった気がするんだけど。
何ていうんだろ。どこぞの誰かの小手先テクニックをみんなが真似ているようなそんな感じが気持ち悪いんだよな。
歴史が面白い
歴史といえば日本史だとか世界史だとか学生時代に勉強したものを思い浮かべるだろう。でも、最近面白いと思っているのはそういう歴史だけではない。
例えば経営史。今ある企業がどのようにして今の地位についたのか。なぜそのような事業を始めたのかなどが学べる。
例えば美術史。美術はそのときどきの社会情勢にも影響を受ける。美術から歴史が見えてくる。美術作品は美術そのものの優劣だけではない。
何ごとにも歴史はある。
ものを見たときに、その成り立ちや背景を想像することが面白い。
勉強はしておいたほうが笑える
最近よく思うのは知識がある方が笑えることが多いのではないかということ。
知識のない人のジョークは誰もが笑えるけど、知識のある人のジョークは知識のない人には伝わらない。(どちらもジョークが面白いこと前提)
つまり、知識がある人の方が、より笑うことができるということ。
お笑い芸人さんは万人に笑ってもらえるように、万人が知っていることを題材にして笑いを取っているのだろう。でも、そういう笑いじゃなくて知識があるからこそ笑えることってのもあると思う。
クラスのまじめなガリ勉タイプの男の子。つまらない奴ってレッテル貼られてるけど、実際は高度な知識からくるジョークを連発しているのかもしれない。つまらないって感じてる方が実は単に知識がないってこともあるのかもしれない。
私はそういう笑いを生み出せる人になりたいと思うし、そういう笑いに気がつける人にもなりたい。
YouTubeが止まらない
2019年も3ヶ月が終わろうとしている。
明日には新元号が発表され、翌月には新たな元号がスタートする。
そんな日々の中、相も変わらずやることが進まない。やらないといけないことが終わらない。そういうことが増えている。先日書いたように頑張ることが難しくなってきているように感じる。
ただ、頑張ることが難しい以外に、もう一つやれない理由があることに気づいていた。
それは"YouTubeが止まらない"ということ。
この動画だけ見ようと見はじめるのだが、完全にYouTubeの関連動画ループにハマってしまい時間が過ぎていく。
「これはダメだ」と時間を決めて見るようにしたが、結局ループにハマり時間が徐々に伸びていく。ユーチューバーすごい。
ということでYouTubeを断つこととした。いま4日目。暇だ、見ようかなと思ったとき、「断つ」という決断は歯止めになっている。これが「少ない時間ならOK」としていたらズルズルとループにハマっていたことだろう。
この"YouTube断ち"はいつまで続くかは分からない。とりあえず1週間は続けたい。そのあとは、断つもよし、週1で見ていい日を作るもよし。さてどうなるか。